会うつもりなんて、最初はなかった。
ただ、誰かに聞いてもらいたかっただけ。
夫と子どもと、穏やかだけど、心のどこかがいつも静まりきらない日々。
メッセージを重ねるうちに、彼の言葉の中に、
久しく忘れていた“温度”を見つけた気がした。
「あなたの声、やわらかいね」
そんな他愛のない言葉に、胸の奥が少しだけ疼いた。
そのうち、声を聞きたいと思うようになり、
会いたい――と囁いた自分がいた。
待ち合わせの場所は、灯りの少ない駐車場だった。
彼が歩いてくる姿を見た瞬間、
心臓が痛いほど鳴った。
「本当に来てくれたんだね」
その笑顔に、すべての言い訳が消えていった。
助手席に並んで座ると、
窓の外の景色は何も見えなかった。
静けさと体温だけが、その空間を満たしていた。
彼が手を伸ばして、そっと私の指先に触れる。
その瞬間、
胸の奥で小さな灯がともったように温かかった。
部屋に入ると、世界がしんとした。
明かりを落とす音だけが響き、
二人の影が壁に寄り添って伸びた。
彼の手が髪を撫で、肩へ、背中へとすべる。
まるで、記憶の奥を探すように、
一つ一つを確かめるような動きだった。
息が触れ合い、
心臓の鼓動が重なる。
「怖い?」
「少し。でも、これが夢なら……覚めたくない」
目を閉じた瞬間、世界が音を失った。
唇がかすかに触れただけで、膝が震える。
その優しさが逆に苦しかった。
触れられるたびに、
体の奥の寂しさが、少しずつ色を失っていく。
彼の手が腰に回ると、
まるで体が光に包まれるように熱を帯びた。
息が乱れ、首筋が微かに震える。
彼の吐息が耳元で混ざる。
その温度の中で、言葉が消えていく。
何度も目が合った。
そのたびに彼の瞳が私を奥まで溶かしていく。
唇と唇が再び重なると、
時間がゆっくりとほぐれて、
肌越しに伝わる鼓動が、ひとつの音に変わった。
「もう、考えたくない……」
そう囁いた私を、
彼は強く抱き寄せた。
世界の輪郭が滲み、
呼吸と呼吸の間に小さな波が生まれる。
意識のすぐ下で、
淋しさも罪も、静かに溶け落ちていった。
気づけば夜が明け始めていた。
カーテン越しに差し込む光が、彼の顔をやさしく照らす。
何も言わずに手をつないだ。
それだけで、
私たちの間にあった空白が少し埋まった気がした。
「また、会えるかな」
「……会いたい、と思ってしまったら、もうだめだよね」
その言葉に、胸がきゅっと鳴った。
もう妻には戻れない気がして、
でも、そう思えることが不思議と誇らしかった。
帰り道、
頬を撫でる風がまだ熱を含んでいた。
あの夜、私の名前を呼んだ声が、
耳の奥で今も、静かに鳴り続けている。