息子に舐め尽くされる母――禁断の唾液愛に溺れて

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人妻/不倫/浮気のお部屋

息子に舐め尽くされる母――禁断の唾液愛に溺れて
2026年01月14日 11時13分
DUGA
DUGA
息子に初めて触れられた夜から、私は“母”ではなく“女”に戻ってしまった。 唾液を交わすたび、罪と快楽が混ざり合い、愛のかたちが変わっていく。 老いていく身体にも宿る「性的価値」と「禁断の愛情」が、すべての読者に問いを投げかける一篇。

ケンタと最初に唇を重ねてから、もう三年が過ぎた。
あの日のことを思い返すたび、胸が熱くなる。43歳の私が、あんなに“女”を取り戻す日が来るなんて思ってもみなかった。
彼と過ごす夜は、後悔よりも幸福で満ちている。母親として失格だと思いながらも、身体のどこかが「これでいい」と囁くのだ。

一番最初に感じたのは、背中に触れた彼の指先。
たったそれだけで、長い年月で眠っていた何かが溶けていった。
「母ちゃん、チャック上げるよ」
あの一言で始まった物語を、今でも身体が覚えている。

柔らかな背肉に触れた手のひらが、愛撫に変わるまで、ほんの一瞬だった。
その時私はもう、母でも理性でもなく、“彼にとっての雌”になっていたのかもしれない。

ケンタは、私の全てを見てくれた。
垂れた胸も、お腹の肉も、老い始めた肌も。
「可愛いよ」
そう囁かれた瞬間、涙が出そうになった。若い頃、夫からそんな言葉を聞いたこともなかったのだから。
太っても、年を取っても、息子の視線はいつも熱い。
彼にとって私は、欲望の対象であり、世界で一番愛しい女らしい。
そう言われるたび、罪よりも先に快感が走る。

夜になると、ベッドではなく畳の上で抱かれる。
ケンタの体温、汗、唾液が混ざるたびに、呼吸が深くなる。
唾を求められることに、最初は戸惑った。
でも今は、それが愛のやりとりになってしまった。
私が口を開け、舌を差し出せば、ケンタは嬉しそうに飲んでくれる。
それを見ているだけで、腰が疼く。

唾液は私たちの“言葉”だ。
「好き」「会いたい」なんて口に出さなくても、唇で伝え合える。
母と息子ではなく、ひとりの男女として混ざっていく瞬間。

驚くほど自然に、私たちは食卓でもそれをするようになった。
スイカ、苺、みかん、どれも口移し。
果汁を舐め合ううち、食事の時間が前戯に変わっていく。
夫が単身赴任でいないこの家は、もう完全に“ふたりの巣”だ。
テーブルの上でキスしながら笑い合うと、罪悪感なんてどこかへ消えていく。
咀嚼したご飯を口移しした時、ケンタは「母ちゃんの味がする」と呟いた。
その言葉で体中が熱くなって、息子ではなく男としてしか見られなくなった。

お風呂では、背中を流してもらうのが日課になった。
泡が流れるたび、乳房の谷間や腹の肉をなぞる彼の指が止まらない。
「母ちゃんの身体、全部好き」
その言葉が、私の中の“母性”を完全に蕩かした。

私は今、“禁断の愛人”としての自分を生きている。
ケンタはまだ若くて、恋も知らないはずなのに、私には恋人以上の優しさをくれる。
唾を垂らしたり、舐めたり、抱き合うたびに、彼は私の名前を何度も呼ぶ。
その響きが、胸の奥を震わせるのだ。

「母ちゃん、今日も飲ませてよ」
そう言われると、何も考えられなくなる。
唇を開き、涎を垂らす瞬間――それが私にとっての「愛してる」だ。
涎が垂れ、舌と舌が絡む度、世界が狭くなっていく。
目の前には彼しかいない。息子ではなく、私を抱く男。
熱い息と体液とで満たされながら、私は幸せの底に沈んでいく。

ある夜、ケンタが言った。
「母ちゃんの唾液が一番好き。味が、落ち着く」
その言葉を聞いた瞬間、母親としての恥よりも、女として“選ばれた”誇りが溢れた。
私は彼の初めてであり、永遠でありたい。
他の女なんて知らなくていい。
私だけを愛して、私の匂いと唾だけで満たされればいい。

まるで恋人のように包み込む抱擁も、乱暴なピストンも、すべてが嬉しい。
汗の味さえ、愛おしい。
息子に抱かれて、母としての人生を越えていく──その背徳さえ、幸福の形に変わってしまった。

最近は、寝る前に“儀式”のように口づけを交わす。
私が口にお茶を含み、ケンタに渡す。
舌を絡めて飲み干されると、胸の奥がジンとする。
唾液が喉を通る音すら、愛の証のように響く。
ケンタの舌がまた私を求め、身体が蕩けていく。

畳の上に倒れ込んで抱かれながら、私は心の中で願ってしまう――
このまま誰にも見つからず、永遠にこの関係が続きますように、と。

鏡の前で、自分の身体を見るのが好きになった。
三段腹も、垂れた胸も、愛されて形になった証だと思える。
ケンタの手跡が残ったような感覚を、肌の上に感じながら微笑んでしまう。

「母ちゃん、今日も綺麗だね」
その言葉に、私はただ唇を重ね、涎で答える。
これが私の“愛語(あいご)”だ。
唾液で愛して、唾液で伝えて、唾液で繋がる。

私たちは、もう母と息子では戻れない。
けれどそれでいい。
だって、彼が私に教えてくれたのは――
“老いていく身体にも、まだ愛が宿る”という真実だった。

私は今日も、台所のテーブルの上に果物を並べる。
ケンタが帰ってきたら、口に含んで味わわせてあげるために。
あの、最初の夜のように。

唾液の味は、愛の味。
そして私は、母であり、恋人であり、彼の唯一の女。
ケンタが求めてくれる限り、私はこの快楽の中で生き続ける。

この作品の魅力は、「唾液」を愛そのものとして描き切った点にある。単なる倒錯や母子関係の逸脱ではなく、老いを帯びた身体がどのように“再生”していくか、その過程が肉体的快楽とともに描かれているのだ。とくに口移しや舌の絡み合いといった行為が、性行為を超えた一種の儀礼として描写され、読者に独特の緊張と官能を与える。息子の「飲ませてよ」という一言に込められた支配と甘え、その両義性が母の理性を溶かしていく描写は、まさに背徳の極み。熟女の肉体が聖域から快楽の装置へと変質していく様は、読む者の倫理をも蕩かす。唾液フェチ、禁断愛、母性の崩壊――この全てが織り交ざった官能文学の完成形といえるだろう。
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