潮の匂いが濃くなる夕暮れ、真夕は海辺の岩に腰を下ろし、まだ火照った体を潮風にさらしていた。
一日中潜っていたせいで肌の奥までしょっぱい熱が残っている。その熱が胸の奥でまだ波を打っていた。
夫の弟――孝輔が島に帰ってきてから、空気が少し違っている。
少年の面影は消え、引き締まった胸と腕。動くたびに筋肉が滑らかに浮き上がる。
海面に光がきらめいて、そのたびに彼の体が、海と同じ色に染まっていくのが印象的だった。
「姉ちゃん、行こか」
その声に振り向いた瞬間、風がふんどしの隙間を通り抜け、思わず背筋が震えた。
潮を含んだ空気が肌を舐めるようで、誰かの指先がふと撫でた錯覚をおぼえた。
潜るたび、視界の中に孝輔の身体がちらつく。
陽を受けてきらめく肩の輪郭。水中で泡が踊るたび、なぜか胸が高鳴っていた。
兄の妻としてありえない感情だと分かっているのに、彼が海面から顔をあげて笑うたび、何かが壊れていく音がした。
ふたりで休む岩場は、潮の香りが濃い。
海女着の裾が肌に張りつき、ふんどしの紐が食い込む。
そこに風が吹き抜けると、小さく息が漏れた。その自分の声すら恥ずかしい。
目を閉じると、すぐ隣に孝輔の呼吸を感じた。
静かに寝息を立てていると思っていたのに、ふと気配が変わる。
熱を孕んだ何かが、空気の中で揺らぎ始めた。
その気配に、身体が勝手に反応した。
喉の奥が熱を持ち、下腹がひそかに疼く。
――見られている。そんな錯覚が、逆に逃れられない快楽のように襲ってくる。
どれくらい時間が経ったのか、目を開けたころには陽が傾いていた。
孝輔は黙ったまま、視線を逸らすように立ち上がった。
その横顔に、抑え込まれた衝動の気配を見た瞬間、胸の奥が痛いほど熱くなった。
夜。
家は静まり返っているのに、外の波音だけが生々しく耳を打つ。
眠ろうとしても、まぶたの裏には彼の輪郭が焼き付いていた。
海に似た匂い、陽に焼けた肌、滴る汗――それら全部がひとつの映像になって脳裏を離れない。
襖の向こうで、ふいに板の軋む音がした。
息を止める。
もう眠ったふりをすることもできなくなっていた。
布団の上で指先を少し動かすと、わずかに汗ばんだ自分の肌が触れる。
そこから全身に波が伝わる。呼吸が浅くなり、胸の奥がゆっくりと震えはじめた。
「姉ちゃん…」
囁くようなその声が、夜の湿気の中で溶けていく。
月光のすべり込む暗がりで、真夕は目を閉じた。
すぐ近くの熱、それが誰のものなのか考える余裕もない。
重なった呼吸がたしかに存在して、そのたびに全身が反応する。
逃げようとする理性を、感覚が簡単に上書きしていく。
彼の手が腕をなぞる。
塩気の残る肌が擦れ合う音、鼻先をかすめる息づかい、そして指先が一瞬触れるだけで体が跳ねた。
言葉はひとつも発せられない。ただ、波の音だけがすべてを覆い隠してくれる。
――このまま、朝まで時が止まってほしい。
そう思った瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
夜が明ける頃、潮風がまた部屋を抜けていく。
触れた場所ごとに火照りだけが残り、現実がゆっくり戻ってくる。
夫の呼ぶ声に「おはよう」と返したとき、唇にはまだ海の味が残っていた。
罪悪感と快楽がひとつになって、身体の奥で静かに波を打つ。
それ以来、真夕は海に潜るたび、あの夜の潮の温度を思い出す。
波の下で目を閉じると、あの呼吸がすぐそばにあるように感じる。
誰にも言えない、胸の奥の秘密。
それだけが、彼との繋がりであり、自分が女としてまだ生きている証だった。
