結婚8年目、31歳の専業主婦です。夫は35歳でこの地方では大手の会社員です。高卒の私が専業主婦をさせてもらえる年収の夫と結婚できたのには理由があります。私は、夫が勤務する会社の関連会社にいました。簡単な経理とお茶出しが表向きの仕事でした。
就職が厳しいこの時代、正社員としての採用条件には愛人契約が伴いました。最低3年間の愛人経験を経たら、県庁所在地にある親会社の正社員の中から結婚相手を選べるのです。草食系の男性が多く、なかなか自分でお相手を見つけられない社員に、
会社役員の愛人をあてがう秘密のシステムなのです。私は、容姿で選ばれた愛人社員でした。最初にお相手したのは親会社の社長さんでした。当時62歳のおじいさんでしたが、人の良さそうな男性でした。お風呂に入ったら高校時代の制服に着替えて、言われるままにパンツを脱いでアソコを拡げて処女膜を観察されました。
プラスチックのマドラーみたいなものでアソコを弄られて、クリを擦られて、濡れてしまいました。スカートを脱がされて、アソコを舐められました。恥ずかしいのと気持ちいいので頭がボーっとなってくると、社長さんのおちんちんを舐めさせられました。
そして、社長さんのおちんちんが私のアソコに入れられて、激痛と共に処女を失いました。社長さんは、腰を動かしながら私の上半身を脱がせていきました。私の胸は小さめなので、ブラは外さず上にずらされてしまいました。そうして、露にされたお腹に社長さんはダラダラと射精しました。
その後1週間おきに、親会社の専務さん、常務さん、自社の社長、専務、常務の順番で高校時代の制服姿でお相手しました。処女を失った後でも、やっぱり痛かったです。1年間はこのパターンを繰り返していました。次第に性を開発されて、快感に喘ぎ始めるようになると、その方々の性癖が随所に現れて、コスプレやソフトなSやM、ついにはアナルセックスも経験しました。
2年目になると、1年間のローテーションで私を気に入った方をメインに、お相手するようになりました。初めのローテーションの順番に指名権があるらしく、私は本社の専務さんがメインのお相手になりました。専務さんは、ソフトなSMをする方でした。
アザにならない程度に拘束して、乳首やクリにローターを固定して放置し、終わらない快感に悶える姿を眺めるのがお好きでした。逝くには足りない刺激なので、いつまでも不完全燃焼の快感で気が狂いそうになり「お願いです。逝かせて下さい。オマンコに専務さんのおちんちんを入れてかき回して下さい。」と、普通は恥ずかしくて言えないことを言わされました。
これが、基本的に週1回の愛人勤務でした。基本的というのは、時々、お相手を交換することがあるのです。その時にはその方の性癖に合わせたセックスをさせられました。そのメインは半年で変更になり、次は自社の社長、専務で、3年目の後半は、毎週ではなく月に2回になり、その時々でお相手が違うのですが2~4人を同時にお相手するようになりました。
3年の愛人期間を終えた私は、親会社と自社の連絡係を命じられて、毎日車に書類や荷物を積んで行き来するようになり、彼氏の物色を始めました。私は何人かお気に入りの社員さんをチェックしていましたが、少し大きめの荷物を台車に載せるときに、手伝ってくれた男性にキュンとしてしまいました。それが夫です。
私は夫を気に入ったと自社の常務に告げました。そして、私は自社のパンフレットを持って説明するだけの役目で夫と二人の出張を命じられて、それをきっかけに2年間交際して24歳で結婚しました。
初めて夫に抱かれる時は緊張しました。22歳で過去に恋愛経験輪はあるけれど、そんなに経験豊富ではない女を演じるために、フェラもわざとぎこちなくしました。でも、夫もそれほど女性経験があるわけではなかったようで「前の彼氏が上手だったら、俺、比べられちゃって辛いなあ。」なんて言ってました。
夫のクンニは、今では慣れましたが初めはやや強くクリを吸われてちょっと痛かったです。夫のテクニックは、やっぱり50代60代の男性と比べたら淫猥さの演出が稚拙ですが、おちんちんの硬さは相当違いました。硬さだけでなく、長さもあるような気がしました。
愛人時代は、膣内を撫でられるような感じでしたが、夫の硬いおちんちんは、膣内をゴリゴリ擦る感じで、思わずはしたない声を上げそうになりました。専業主婦をさせてくれるだけの稼ぎのあって、更に優しい夫と結婚できて幸せなのは私なのに、夫は「俺、一生独身かな~と思ってたのに、こんなに可愛い嫁さんもらえるなんて、夢みたいだ。」と言ってくれます。
6人の熟年男性に玩ばれたアソコを夫に愛されるたび、少し胸が痛みます