ワイングラスの底が、淡い琥珀の光をすくって揺れていた。
金曜日の夜、夫の帰りを待つのが少し虚しくなり、思わず共通の友人である彼にメッセージを送ってしまった。
「久しぶりに、少しだけ呑まない?」
気づけばその言葉が私の孤独を肯定するようで、送信ボタンを押したあと胸の奥が甘く痛んだ。
彼はいつも通りやさしい顔で現れた。
夫と学生時代からの付き合いで、仕事の愚痴や家庭の話も軽く受け止めてくれる、頼りになる人。
居酒屋の灯の下で、私の話をただ聞いてくれる彼の眼差しが、酔いのせいか少しだけ違って見えた。
「辛いって、言っていいんだよ。」
その一言で、張りつめていた何かがふっとほどけた。
夫にすら見せられない心の奥を覗かれたようで、グラスをもう一度口に運んだ。
アルコールの熱が喉を落ちていく頃、私はもう、理性的な自分をどこかに置き忘れていた。
彼の手の甲が、テーブル越しに私の薬指をかすめた。
一瞬、心臓が跳ねた。
でも、痛くなかった。むしろ、懐かしい感じがした。
夫にもこうして触れて欲しかった――そんな気持ちが一瞬、胸を通り抜けた。
店を出ると、風が思ったよりも冷たくて、彼の手を取った。
無意識に、だった。
「送っていくよ」と優しい声。
その声が、夫の声に重なって聞こえて……気づけば私は頷いていた。
彼の部屋で、ふと見上げた天井の灯りが、涙で滲んだ。
なぜ泣いていたのか、自分でもわからない。
夫の名前を呼ぼうとしたのに、声が出なかった。
それでも、肩にかかる腕の重さに安心して、私はそのまま身を委ねた。
息が混じり合い、肌の距離が近づくたびに、今がどこなのかわからなくなる。
指先の動き一つひとつが、夫がくれなかった温もりのようで――。
私は彼の胸に頬を押し当て、「あなた……」と、ほんのかすれ声で呟いた。
返ってきた低い吐息。
その瞬間、私は本当に夫の腕の中にいると信じきっていた。
酔いと涙と熱にまみれた夜――世界の輪郭が、愛の形に溶けていく。
そのまま時間の流れが止まったかのように、
心も体も、ずっと求めていた何かに包まれていた。
朝、目を開けた時、窓から射し込む光がまぶしくて顔を覆った。
その隣に、夫とは違う呼吸があった。
現実が静かに戻ってくる音を聞きながら、私はしばらく動けなかった。

